中浦日記

企画屋になってしまった。ピンクとにいがたが好き。165/47/23

時の重みを感じて

タイトルに特に意味がないのはいつものことですが、今日もなんてことないことをただただ書いていきます。

 

昨日でブログ開設から2ヶ月経過した訳ですが、3ヶ月目に入ったこの節目に何を書くか、決めかねていました。

んで、決めたんですけど。

いつも通り、中身のないことを書くことにしました。

 

 

さっそくですけど、今日から7日間、新潟地区の115系を紹介していきます。

7日間、にした理由は7編成を1日1編成ずつ紹介すれば読みやすくなりそうだったから。そんなに大した理由はない。

 

 

 

□N-33編成(2019.9.18大宮出場)

 

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2019.1.1 115系新ニイN-33編成

夜間留置 @吉田

 

新潟地区に現在残存している115系に共通して言えることは、7編成すべて長野から転入したこと。そのため、中央東線八王子口の運用や、「むさしの号」代走などを想定した首都圏乗り入れ向けに当初からATS-Pを搭載している編成になっています。それが功を奏し、新潟駅高架化に伴う拠点型ATS-P導入後も残存できているという状況ですね。

 

転入の経緯は色々ありますが、初期配置が新潟県内のいわゆる「生え抜き」のグループはATS-P非搭載であったことから、新潟駅高架化の時点で全滅しています。

 

このN-33編成は2013年、長野から転入してきました。リニューアル未施工の編成です。

転入当初は長野色(アドバンスブルーとリフレッシュグリーン)のまま運用を行っていましたが、2015年の大宮総での全検で二次新潟色(通称:キムワイプ)になりました。

リニューアル未施工の編成はキムワイプ、菱形パンタにMGの組み合わせでしたから、シングルアームパンタのN-33編成は異彩だったと思います。

 

このN-33編成の転入してきた理由は、E127系の事故廃車に伴う予備編成確保が目的であったとされています。

というのも、2015年の北陸新幹線開業と同時に、信越線のうち新潟県内の区間の一部(妙高高原直江津間)を第三セクター化することが決定しており、E127系10編成の譲渡が決定しており、残る3編成のうち1編成は事故で焼損し運用離脱(のちに廃車)、2編成のみがJRに残ることになりました。

で、E129系A編成(2両編成で製造されたグループ)がその譲渡分の穴埋めに使われることは確定していましたが、一方でE127系の機器更新や譲渡に向けた整備を進めなくてはいけなくなっていました。

そこで、長野としても北陸新幹線開業で余剰になるであろう115系1本を新潟に転入させて、予備編成の確保とした訳です。結果的にE127系のうち、JRに残存した2編成の機器更新は2017年になってからとなりましたが、E127系の転出に向けた改修工事などを進められたのは、ある意味この編成のおかげかもしれません。

 

2016年以降本格化したE129系の投入により、115系は2・3・4連すべてに廃車が出てきたものの、ATS-Pが搭載されていることから長野からの転入車は対象にならず、現在JRでは唯一定期運用のある115系となっています。

 

そして2019年には重要部検査のため再び大宮総入場。一次弥彦色の装いに改まり出場したのは記憶に新しいです。

 

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2020.3.2 170M 115系ニイN-33編成

普通吉田行き @新潟

 

現在の塗装は、弥彦線でかつて活躍していた115系がまとっていた塗装です。

弥彦線115系は2両編成で、ワンマン改造を施されるなどほかの115系(2両)とは運用が分けられており、弥彦線専属のような扱いでした。弥彦線専属編成となったY編成の初期の塗装がこれになります。一次弥彦色、なので当然二次がありますが、こちらは別の機会に。

 

この編成は3両だし、シングルアームパンタだし、ワンマン運転非対応だし、と全然別物ではありますが、新潟支社の遊び心がすごく伝わってきますよね。

残り6編成も全部塗装が違うので、乗る時はどの車両が来るか楽しみだったり。

明日はN-34編成を紹介しますね。

 

 

 

キムワイプは工業用ウエスです

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