今日の日記。
多忙な1週間、なんとか終わりそう。
とりあえずヤマは超えたし、あとは週末の仕事を乗り切れば……。
今週、休みがないんですが。特に手当のない日曜出勤、悲しきかな。
2019.1.4 1932M E129系新ニイA19編成
普通吉田行き(新潟経由) @佐々木〜西新発田
今となってはすっかりE129系やGV-E400系が定着し、国鉄大陸と呼ばれた新潟もキハ40系は只見線小出口を除き全滅、115系はわずか7編成まで数を減らすなど、わずか5年ちょっとの間で大きく姿を変えてきました。
昨日まで7日間連続で現存する115系を紹介してきましたが、紹介漏れやちょっとした小ネタ程度の内容を今日は少しだけ喋っていこうと思います。
①N-39編成のなぞ
現存する115系は3両編成の「N編成」と呼ばれており、N-33〜38・40の7編成が活躍をしています。
記事を辿ってみてみると、長野からの転入編成7本が転属してきた順に編成番号を付番されていることがわかります。
しかし、N-39編成だけは現存していないんですね。
これまでの通例であればN-40編成が転属する前、もしくは同時にやってきた編成に付番されて……となりますが、そういうことでもありません。
かといってN-40編成の転入前後にはE129系が運用を開始しているので、N-39編成がわざわざ新造されるはずもありません。
では、この空白はどうなったのか。
N-39編成というのは、現存はしていませんが、かつて活躍していた編成ではあります。
ただし、これまで紹介した115系と経緯が全く異なる形で登場した編成で、たまたま時期がN-38編成よりあとの登場となっているための付番となっています。が、新潟で活躍してきた歴は圧倒的にこちらの方が長い。
訳がわかりませんね。
早い話が、「元々存在しなかった」3両編成が2014年に生成されています。
新潟地区の115系は2両のS・Y編成、3両のN編成、4両のL編成の3通りが存在していました。
このうち、リニューアル施工は3両のみ。
現存するのは3両のN編成、それ以外は全滅です。
L編成は大分すると2通り、両先頭車が付随車(クハ115)で、中間車が電動車ユニット(モハ115-モハ114)になっているタイプAと、片側の先頭車が隣接する電動車とユニット(クモハ115-モハ114)を組成し、中間にサハを挿入したタイプB。
一方で、N編成はクモハ115-モハ114の電動車ユニットにクハ115をくっつけた3両になっています。
さて、タイプBのL編成はN編成にサハを入れただけの4両とも捉えることができるのがわかるでしょうか。
電動車は基本的に2両でユニットを組んでおり、その2両を切ることはできません。
つまり、タイプAのL編成では中間車を1両だけ抜くことはできず、抜くとしたら2両まとめて抜くことになり、なおかつ残った2両はどちらも付随制御車で電動車が存在しない、要は使えない2両だけが残ってしまいます。
逆に、タイプBのL編成は電動車が先頭車と中間車でユニットを組んでいるので、電動車を失うことなく、安心して中間サハを抜き取ることができます。
そんな使い勝手の良さを逆手に執り、115系のL-14編成のうち中間サハ115-1002のみを廃車、3両編成に組成し直したものがN-39編成になります。
生え抜き編成なのに編成短縮が2014年、N-38編成が登場したあとなので編成番号も順番に39、不思議ではありますが経緯を知ってしまえば納得です。
で、そのN-39編成はなぜ現存していないのか。
情報を整理しながら考えると、この編成は生え抜き、そして4両編成だったこともありリニューアルも受けていない、追い打ちをかけるようにATS-Pも非搭載。単純に残す理由がありません。すぐに消えました。結局編成短縮から2年後の2016年12月に廃車になっています。
空白ができた理由はそういう理由です。初期に製造された編成を転入分で置き換えるにつれ、N編成が単純に不足していたことが挙げられますが、一時的な措置で対応させたにしても汎用性の高さが出ています。JR型だとそうもいかないので。
②ET127系とE127系
北陸新幹線開業と同時に、信越本線の妙高高原〜直江津間はえちごトキめき鉄道妙高はねうまラインとして移行。長野県側同様、当初は115系がゴロゴロ余っていたのですが、長野県側はしなの鉄道に115系を譲渡したのに対して新潟県側は115系ではなく、13編成製造されていたE127系のうち10編成を譲渡しました。
車種を統一すれば、長野から直江津まで三セク移行後も直通運転ができたかもしれないと考えると、残念でなりませんが、ワンマン運転が主体になる都合上、整理券方式を採用したかったのであればE127系の方が適任だったのでしょう。実際、115系のうちワンマン対応車は弥彦線専属だったY編成は3編成だけ、ワンマン改造を今更するには車齢を重ねすぎ。
その結果ET127系という新形式が誕生することになりました。
譲渡されたのはV-1・2・4〜11の10編成。そのうち、V-4〜11の8編成は改番でV-3〜10に改められています。
これはV-3編成が越後線で発生した事故の影響で長期離脱、からの廃車となった影響でV-3が空番になった結果です。
2020.1.1 2328M ET127系直江津V7編成、2355M直江津V9編成
そしてJRに残った2編成は老朽化の激しかった115系のうち、弥彦線専属だったY編成を置き換え、事実上弥彦線専属の形式になりました。
本来なら3編成が残存予定だったものの、先述の通り1編成が廃車になった関係で3編成の置き換えを2編成で実施、運用数2に対し編成数2となってしまいました。その関係で、E127系を譲渡できるように投入されたE129系が予備編成を務めるという、なんとも言えない状況になっています。
2019.5.4 8271M E127系新ニイV-12編成
臨時普通新潟行き @弥彦〜矢作
2019.5.4 9230M E127系新ニイV-13編成
臨時普通「弥彦桜絵巻」2号 @弥彦〜矢作
JR東日本に現存するE127系はこの写真のV-12、V-13の2編成4両、運用範囲は越後線吉田以北と弥彦線に限られますが、機器更新も終了しているのでしばらくは安泰に思われます。
こちらは改番などは一切ないまま弥彦線に転用されています。
かつては2+2といった運用がありましたが、ワンマン対応の構造であり、なおかつ少数派故に弥彦線転用が相応だと判断され、現在は2両単独の運用で、ワンマン運転の列車が大多数を占めています。
一度でいいので、E127系の4両運用が復活しないかなと思ってみたり……。
ありえませんけどね。
2+2で定期運用を持ってしまうと、予備編成がないだけでなく、E129系を2編成使って代走せざるを得なくなります。だからこそ単独で運用をもてる弥彦線に転用したのでしょうが。
とはいえ、臨時かなにかでやって欲しいという思いはやっぱりあります、正直。
期待していない自分
#67