中浦日記

企画屋になってしまった。ピンクとにいがたが好き。165/47/23

ふと気付くと一日中

こんにちは。ブログを開いてくださりありがとうございます。

ここ最近連日、体調があまり良くないという重大なバグが発生しています。いつもなら寝たら治るのに。

 

今日は私の人生を変えた、東京メトロ07系について話そうと思います。

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2019.2.26 回B2035S 07-106F

入庫回送 @西船橋

 

私が生まれてから、地元を走る東西線に07系がやってくるまで6年。

この間、私はただの鉄道好きな男の子だったと思います。05系とか5000系とか、見た目の区別こそついていたでしょうが、細かいところは気にしなかったし、乗ることがとにかく好きだったと記憶しています。

 

ことの始まりは、なんかの鉄道系の本だったかな?当時6歳の私は「有楽町線で活躍していた07系が東西線に」という内容をどこかで目撃したので、なんというか、高揚感に包まれていたのを覚えています。

これまで5000系や05系東葉高速2000系、JRからのE231系800番台と、4車種が走っていた━━━━━━細かく分ければかなりの種類になったでしょうが━━━━━━中で新たにやって来るのが、直接投入の新形式じゃなくて、有楽町線の07系?なんでだろう?と思ったのと、あのゴールドの帯が地元で見られるのか、なんて幼心に期待してみたり、とにかくわくわくしていました。

 

2006年秋の営業運転開始からずっと、東西線を走る07系の姿を見たことはなく、そのまま2007年へ。

2007年3月、東西線にとって開業以来の新車である5000系の引退となりました。それに先がけ1月には「ありがとう5000系車両撮影会&工場見学会」と名付けられた公開イベントが実施され、私も当時の深川検車区に訪れた記憶があります。

そこで本来目当てになるはずの5000系‪……‬はいたんですが、それよりも目に入ってきたのが07系。ゴールドの帯ではなく、東西線のスカイブルーの装いを新たに、深川で並んでいる姿を一目見て、変な話一目惚れすることとなりました。

 

その時の貴重なデータは私は保有していませんが、左手(越中島貨物)側から07系、05系(確か13次車とか)、05系(幕の初期型)、5000系(ステンレススキン)、5000系(アルミ)の5編成が並んでいたあの鮮烈すぎる光景は未だに忘れられません。

感動とかそういう言葉じゃ伝えきれないような、言葉にしきれない思いを感じたことを覚えています。

たとえば、あの車内。今でこそ、E235系みたいに鮮やかな車内のフォルムはそこそこメジャーにはなってきていますが、当時の私にとって、東西線05系。それも初期型の若干営団臭い車内を親の顔と同じくらいには見てきました。ですが07系の車内と言ったら。同じ営団時代の0*系シリーズとは思えなくって、高級感というか、上品さというか、05系なんかには到底感じられない、言葉以上の「やさしさ」感じるレイアウトの車内になんと名前をつけられるでしょうか、当時の拙い語彙力どころか、今の私ですら言葉にできません。

 

見た目のフォルムもインパクト十分でしたしね。

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2018.3.26 1534Y 07-106F

各駅停車津田沼行き @津田沼

 

05系のシュッとした角形とはまた違う、けれど05系(MC車)のやわらかすぎる丸型ともまた違う、まな板のようにペラッペラのE231系とは明らかに別物、そんな当時の私にとってはこれなんだ?と思いたくなるような鮮烈なフォルムだったことも忘れられません。しかもこれ地下鉄ですよ?

 

結果私は07系の沼にズブズブハマっただけでなく、デザインとか、車内の設備、放送などなど、今まで着目しなかったような所にまで目を向けるようになりました。

本で見ただけの存在が急に近くに感じられて、当時の鮮烈すぎるインパクトは、今の私を形成する重要な要素になりました。

あの時この形式に出会っていなければ、私はきっと今ほど拗らせたオタクにはなっていなかったと思いますし、きっと鉄道が好きなだけで終わっていたんだと思います。あの日の思い出は、今となってもずっと心に留まり続けています。

 

イイハナシダナーじゃないです。まだ終わってません。

あれからかれこれ12年、2018年には再び古巣有楽町線の新木場へ戻る編成が。

 

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2019.9.13 A1069SR 07-105F

快速東葉勝田台行き @西葛西

 

これは新木場CRでのB修のため、となります。

1993年の登場から13年で東西線へ。そして2019年にはいよいよ東西線での活躍の方が長くなってきた編成も出始めており、すっかり定着しました。

東西線転入後のことしか多くは知りませんが、なぜかVVVF試験車に選ばれたり、B修で装いを新たにするなど、話題が常に尽きない形式になっています。

強い思い入れがある形式だけに、修繕の前後で与える印象の違いはすごく感じますが、それでもずっとあの日の記憶のままのかっこいい東西線の電車ということは変わってないのかなって思います。

いつしか東西線を去る日が来るのも、きっと時の流れを考えると仕方ないのだと思いますが、後悔だけないように、今ある姿を収め続けていけたらと思います。

 

Cause you're till infinity

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